社長が事業を嫌いになった時

日常ブログ

実は数年前、代表取締役でいるのも関わらず、
仕事も業界にもうんざりした事があります。

社内でも上手くいかない。
社外でも上手くいかない。
集客が少しでも落ちると不安がよぎる。
業績も頭打ちしている。

そんな時は顧客も選べない。
そんな時に限ってこちら側の扱いを考えない顧客が現れる。

そういう時のサービスはパフォーマンス落ちがち。
その隙を狙うかの如くクレームとなる。

また、嫌な事こそ重なり、なおさらそういう顧客を引き寄せるもの。

それでも社内では弱み見せられないから背負う。
向き合わずそのまま進めるから社外すら巻き込んでしまう。

結局、自分も含めて誰も良い顔をしない。

当時、私はとうとう仕事も業界も、顧客もすべて嫌になりました。

社長と言えど人。
限界もある。

その時点が限界だと感じた事があります。

そして今の事業自体を変えようと試みました。
そして何度も失敗しました。

向き合わずきた結果、取り返しのつかない失敗で失脚する事に。

実を言うと、かつて一度も仕事を好きになった事などない私。

強がって隠してきた。
やれそうな自分を演じてきた。
自己肯定感が高そうに見える自分を演じてきた。
中身は脆く、弱く、寂しくて、いつだって助けて欲しいのに。

ついにベールが剥がれました。
いつもいい線まで結果が出るタイプではあった。

でも楽しめない。
もう限界でした。


そして、取り返しようの無い失敗を経験しました。

ここから「本当の自分」と再会する。

しかし、こんなに仕事を好きになった事がない人って世の中にいるのか?
それくらい今まで仕事をしている自分を完全に偽り演じてきた。

失敗、挫折、2度目のどん底は偽りから脱皮の機会を与えた。

弱さを受け入れるしかなかった。

それからして、後につくづく私は気づく事になります。

ただ、そのままの自分でいればよかった事に。

強さも弱さも必要ない。

そのままの自分でいる事。
そのままの自分でいる、その立ち位置を決めればよかっただけだった。

何が得意で何が苦手なのか。
何が好きで何が嫌いなのか。
何が合い、何が合わないのか。
何ができて、何ができないのか。

そのままを受け入れてくれるお客様が一体どこに存在しているのか。
それと向き合い、ちゃんと探せばいいだけだった。

そのまま捨て切って、辞め切って、
一旦決めたらもう二度とそれをやらないようにを目標にしてみた。

やらない事を頼りに、信じて行き切ってみました。

するとだんだんと、そんな素朴で簡単な事が普通に見えてきました。


「誰の為に、何ができるのか」


そんな事を真剣に考えた事もなかった。
選べないと思っていた。
選ぶ事など甘えだと思っていた。

この際なので、信じて選び直し、並べ直してみました。

そして完全に理解しました。

もう自分は今までどれだけ複雑に世の中を見てきたのか。
今までどれだけ遠回りをしてきたのかが悔しかったほどに。

強さとか、弱さとかではなく、そのままの自分を受け入れていれば
もっと早く、そんな単純でシンプルな答えに行きついていたのかもしれません。

難しかった事と言えば、今更複雑に仕上がった自分というものを
シンプルにする作業でした。

仕事が嫌いだった理由。
嫌いになった理由。
強がっていた過去。
弱さに蓋をしていたこれまでの事。
自分という人間そもそもの傾向もすべて。

私は自分をとことんアウトプットしました。

いつの過去から変わってしまい。
見えない鎧をまとってしまったのか。
その複雑になってしまった要因も、生い立ちもすべて拾い直しました。

結果、再起。
本来の自分で再起動。

大切な事を思い出す日々。
失ったものに気付く日々。
それを拾い集める日々。

「誰に?」をちゃんと定められているかどうか、
「何ができるのか?」を整理するとどこに辿り着くのか、
それを試行する日々。

そして、やるべき、進めべき道、その輪郭を捉えられるようになる。

自分の身の回りの半径数メートルが変わり出す。

物事が惹き合うように整い出す。

誰と出会うと心地いいのか。
何をしていると楽しいのか。

それが今ではよく理解できたのではと実感しています。

その時はまだ見えない、辞め切ってみたその先の世界。

そこへたどり着く。

今、仕事って楽しいか?と聞かれると、

「悪くない。」

そうはっきりと言えます。

でも、良いと言えないのは一体どの辺りなのか。

それもはっきり言えます。

自分が想う方向へと、納得した自分を見る為にも
そのまま真っすぐ進もうと思っています。

辞め切った世界。
捨て切った世界。
やらないと行き切ったその先。

そこに自分の理想が待ち受けています。
無駄をたくさん抱えて苦しむ事はもうありません。

自分の「無理」の正体。
自分の「我慢」の正体。
自分の「無駄」の正体。

それらをしっかり理解しています。

その逆に答えがある。

無理、我慢、無駄を捨て切ると、
やりたい事、できる事、自然とやってしまう事が見え隠れしてきます。

それに向かって進めばいい。
急がなくていい。
形を少しづつ変えながらでいい。

無謀な目標を掲げなくていい。
嫌な事を辞めていく事を目標に進めていけばきっと見える。

行き切れば見えてくる。

そこには、自分が求めていた共感も、
価値観が思い描いていた理想も待っている。

思考が現実になる。

よく聞いていた言葉の意味が理解できる。

諦めなくてよかったと今では心底思っています。