黒歴史二代目時代

孤立力ブログ

プライドの20代

黒歴史。
それは稼業の二代目時代。
私が25才の時。

21才で父のコネで大手企業に入社し、3年超の修行期間が明け
25才で父の会社へ。

すでに結婚。
ほどなくして二人目の子ができ、4人家族になった。

始めは新規先ばかりの営業として始まった。
何人も考えていない若造だった。

従業員のほとんどは「息子が帰ってくる。」と構えていた。
その時の営業課で5人目営業として入社した。

父が社長である会社で働くという事もどういう事なのか、
全然考えていなかった。
始めに先輩営業に注意された事。

「社長に敬語を使え。」だった。

へー。そういうものなんか。
そりゃそうか。
俺にとって「おとん」でも皆にとっては「社長」やもんな。

やりにくい。
敬語を使おうと頑張るが、父と面談?の時はため口になる。
なんかプライドみたいなものがあったんだと思います。

25才、はっきり言って頑張ってなかった。
新規営業の成果は出たり、出なかったり。

大手企業の時はもっと成果を出せていたのは私の勘違いだった。
取引先は大手企業の看板で相手をしてくれていただけだった。

父の会社は年商7~8億。
従業員数20数名。中規模。
この時を振り返る。
住宅の総合建材卸店、地元の工務店や建築屋に住宅商品を買ってもらう、
サッシ、建材、水回り商品、外壁等を下ろしてもらうBtoB。
新規先を専売化する事が私の仕事だった。

しかし、「売り込み」が苦手だった。
飛び込み訪問は特に苦手だった。
キーマンに会う事もだんだん嫌になっていた。

キーマンの方は口を開けば、「高い。」
安ければ買う。

売り込みの仕方がわからなかった。
その癖にプライドは高い私。
売り込みが苦手な事も先輩に相談できなかった。

プライドが高いバカは癖が悪い。
「こんなはずじゃないのに。俺はもっとやれるヤツなのに。」

そのプライドだけは一丁前。
結局大した成績は納められなかった。

だから新規営業からルート営業へと少しずつ担当先を
分けてもらい数字を出す。

修行の成果を見せてやる!
俺はできる!

稼業入社前のあの意気込みはもう消えていた。

新規営業。
ルートセールス。

結果、至って普通、いやそれ以下の営業だった。


稼業を継げなかった私

つい真面目に書いてしまった💦
ちょっとフランクに書きまーす✊

ご覧頂いている方の中に、
次期2代目や稼業を継ごうか悩んでいる方とか
いたら会ってみたいなーって思います。

実際に私の身近に、稼業を継いでいる人はいますが、
だーれもうまく言っていませんね💧

周囲の従業員さんからは「アホ息子」って陰口を言われて
心から尊重しているような関係を築いている二代目って
本当にいないに等しい。

私はこれだけは言えます!
もし、私が継いでいたら・・・。

120%確実に最短で倒産させている!

そう思う間もなく、父の会社は私が29才の時、
すでに債務超過となっていた。

数億円の借入。
そして、社員さんは専務から常務と上から順に退社していった。

私が赤字に気付いたのもだんだん上司が辞めていくもんで、
立場が繰り上がり、経理との距離も近くなり、
財布事情が自然と耳に入ってくるようになったから。


父の負の遺産は御免被るって事で衝突。
それからの2,3年は顔見れば衝突。
創業の父は頑固だった。

引かない性格。
「今までこれでやってきたからお前に言われる筋合いはない!」
の一点張り。

勝手にしろ!


幼少期、ギャンブルが好きだった父。
徹夜マージャンに明け暮れ、母とも都度喧嘩。

暴力は日常茶飯事。
ちゃぶ台返しは得意技。
よく食事が宙を舞う。

いつも家族を抑え込む圧力は一級品。
本当に嫌いだった。

何も考えずただ稼業を継げと言われて選んだ自分も悪い。
自分にも腹が立つ。
でもあの時の自分はあまりにも無力だった。


父が社長?もうどうでもええわ。

一緒に働いても結局幼少のあの頃とちっとも変わらない。
平穏から急に不安が訪れる。

父の存在は自分にとって「不安の象徴。」



父が言ってた「窮地を何回も乗り越えてきた。」

後から知った。
ばあちゃんから聞いた。

オレも起業の時、車上生活から起業。
二万円しかなかったから。

まず始めに県外にいる父方のばあちゃんを頼って
会いに行った。

何回も乗り越えてきた?

オレも商売をするって打ち明けたら、
ばあちゃんは震えて怒ってた。

「お前の親父にいくら貸したか知っとんか?」

ええ加減にせえ!と言われた額面は億を超えていた。

しかもオレの母ちゃんも借りていた。

しかも借りに来るときはしおらしく。
そのくせ返す時は渋るようだった。

かなり前から借りていた。
継続して返している様子はなかった。

両親の出来の悪さを叱られた。

オレは結局頭が上がらず借りずに帰ってきた。
ごめんな・・・ばあちゃん。

アホな両親で。

その母ちゃんはマルチビジネスで成功した人を演じていた。
BMWからベンツ、ベンツからレクサス。
見るからにお金持ちを飾っていた。

あの見栄は、地道に貯金をしていたばあちゃんが支えたいたのか。

父と母は、ばあちゃんがいなければ、とうの昔に終わっていた。

アホらしい。

信じていた自分にも腹が立った。

母のマルチビジネス成功の立役者は当時の嫁だった。
その嫁の下にオレの妹が傘下に入っていた。

見栄のしがらみは大蛇のように絡まっていた。

父もまた、その見栄から離れられずにいた。

車上生活から戻らなかったのは、
二万円弱で戻らなかったのは、
同じ繰り返しが続くのがイヤだったからだ。

でもよかった。
その時のばあちゃんの叱咤がなければ甘えていた。
両親が身近なばあちゃんを頼っていたおかげで知る事ができた。

オレの目の届かないところだと分からなかった。
今も何にも知らずにいたかもしれない。

稼業を継ぐどころではなかった。
これを見ている方は、「事情」がないか調べて欲しい。

人間だから、何か隠している事もあるかもしれない。
親は子供に情けない部分を見せない。
だから知ってしまってからでは遅い。

同族経営は複雑だ。
あなたが子供から見ていた父の姿がどうだったか。
その親の性格はきっとわかっているいるはずだ。

同族経営でも、普通の企業でも、
どう考えてもこの人が相応しいという人に託す方がいいと思います。

でも、培った資産や苦労がそうさせない。
創業者がきっとそうさせない。
同族経営がそうさせない。

不自然にするから余計に二代目にその視線が集まる。
社員さん、他人こそよく見ているもの。



オレは創業者です。
二代目だろうと創業者だろうと無力から始まる。

両方味わった自分だから知っています。

誰でも不出来から始まり、人に苦労し、時間をかけ成長する。
自分の思考とその足と汗で。

お金の勉強も、プライドでは人が動いてくれない事も後で知る。

黒歴史。次期二代目のあの頃。
失ったものは多い。

情けない自分を守れなかった。

その頃の後悔は今も思い出す。
あの頃があるから今がある!

20代、あまりにもしょぼかった💧

自分では気づけない。
無意識に侵される承認欲や見栄という悪魔。

その悪魔に乗り移られるとなかなか抜け出せない。
そんな人は身近にも多い。

自分も含めて難しい。

謙虚でいる事。
感謝の気持ち。

それを忘れ、小さい幸せを感じられなくなった瞬間。
そこを悪魔は待っている。